インタビュー2013~後編_トーレスコンサート

2013年10月、ぺぺロメロ氏の自宅で採ったインタビュー~2です。2014年5月の来日公演に向けて、コンサートテーマに沿ったお話を頂きました。

続いては、5月20日~トッパンホールにて開催の特別コンサート【Pepe Romero Plays Tarrega with Torres Guitar~トーレスでタレガを弾く】をテーマに、使用ギターとなるトーレスギター【FE-03】(ロマニノス氏による個体番号)についての、大変に興味深い話です。

19世紀、突如として現れた天才ギター製作者、アントニオ・デ・トーレス。
トーレスのもたらした画期的なデザインは、それ以前のギターに比べ、大型化&現代化を促し、現代的ギターの礎石となり、そしてその新型ギターの特性は当時のギタリスト&作曲家に大いなる変化~新たな音楽的地平をもたらしたものと考えられています。
 そして、トーレスギターの愛用者となったフランシスコ・タレガは、この新型ギターの特性を存分に生かした、一連の作品群を残しました。

今回のコンサートテーマは、【トーレスギターを使用し、そのタレガ作品群を、スパニッシュギター最後の巨匠が演奏する】という、正に歴史的な企画で、【ギター史に刻まれる新たな伝説】となることは必至です。

ぺぺロメロ氏の所有する複数のトーレスコレクションの内、今回使用するトーレスは、タレガ自身が生涯愛奏した個体と同様のスペックを持つギターです。

そのトーレスを入手した経緯や、現代において使用する場合の弦や調弦音程の選択など、大変面白いお話を頂けました。


(田代:以下T):来年5月20日のトーレスコンサートでは1856年製メープルを使用することになりましたね。

(ペペ・ロメロ:以下P):1856年、セヴィーリャで作られたメイプルのトーレスはとても特別なギターでね、表面板の裏側にトーレス自身が鉛筆で「マラガの松(Pino
Malageno)~1812年」と書いてあるんだ。
 この頃のスペインでは、スプルースと同様に、松も好まれていてね。おそらく、この松はロンダの山脈から切り出されたものだよ。
 表面も裏面も3ピースになっている。スケール(弦長)は660mmだね。

写真上段~左から:全体/表面版~松3ピース/裏版~メイプル3ピース
写真下段~左から:オリジナルペグ/ぺぺロメロJr新作660mと弦長を比べる/トーレスのラベル

(T):どんな経緯で入手したのですか?

(P):このギターは、私が父から受け継いだものなんだけど、そもそもこのトーレスが初めて父セレドニオの手に渡ったのは、父がとても若い頃でね。
 その頃、父(以下パパ)の友人で「ヒル・コボス」という人がいた。彼とパパは同い年でね。彼はエンジニアだった。元々このギターは、ヒル・コボスの父親が子供の頃から所有していたものでね。ヒル・コボスの父親はギターを弾かないから、多分、家族で所有していたんだろうね。
 で、パパとヒル・コボスが良き友人同士だったので、ヒル・コボスの父は、このトーレスを息子の友人だったパパにあげたんだ。
 だけど後になって、彼はこのギターを取り返したいと思った。それで我が家に来て、このギターを持ち帰っていったんだ。

 それから長い年月が過ぎて、私たち家族がアメリカに移民しようとしていた頃、ヒル・コボスが亡くなった。その折、彼は子供たちに言伝を残した。「このギターはセレドニオにあげるか売るかしておくれ」ってね。で、子供たちはパパにこのギターを売ったんだよ。
 ヒル・コボスはこのギターがセレドニオから取り返されたことをずっと気にしていて、申し訳ないと思っていたんだね。なぜなら、ヒルコボスの父がギターを取り返しに来たのは、息子(ヒルコボス)がこのギターをとても好きで欲していたのを、パパにあげてしまった後に気付いたからなんだ。
 けれどヒルコボスは、友人に対して悪いことしてしまったと、生涯、思い悩んでいたようでね。
 ヒルコボスとパパと、友人同士、互いにこのギターを愛していることを知っていたんだね。結果的にこのトーレスはパパの所有となり、とても喜んでいたよ。

(T):それをあなたが受け継いだのですね。

(P):そうなんだ。でもどうしてこのトーレスが私に受け継がれたのかを話そう。本来ならば、長男であるセリンが受け継ぐべきギターだったからね。
 1969年の冬、父と私は演奏ツアーでコロラドに行ったんだ。それは私達が初めて体験した、猛吹雪の中の運転になってしまった。忘れもしない、11000フィート(3335m)を超えるローブランド峠だったよ。私の運転する車が先導で、パパが後続でね。ポンティアックのステーションワゴンに私と妻、長女のティナ。父は母とクライスラーさ。
 そして峠でね、私の車がスリップして滑り落ちてしまったんだ!パパとママは目前でこれを見たんだからね、もう駄目だと思ったって。パパはママにこう言ったそうだよ。「アンへリータ(奥様の名前)、ぺぺ達は死んでしまったろうね」と。
 山肌に打ち付けられ、雪上を滑り落ちた私の車は、何とも幸運なことに巨大な樹に引っかかって、惨事を免れた。本当にラッキーだったよ。死んでいてもおかしくない状況だったからね!

 すぐさま父達は峠の上から見下ろしてみると、なんと私の車が樹に引っかかって助かっているのを見つけ、叫んだんだ。

「おーいぺぺー!大丈夫かー?!」
 私は「みんな生きているよー!怪我も無いよー!」と。
 そしたらパパが、「ぺぺー!手は大丈夫かー?!」。
 もちろん私は、「大丈夫!手は何ともないよー!」と。
 次のパパの言葉が最高さ。
「無事戻ってきたら、トーレスをお前にやるぞー!」(爆笑)

 命からがら戻った私達を見て、両親はようやく心から安心した。で、パパはすぐに「ぺぺ、手を見せなさい」と言って、私の両手を取り、しっかりと包んでこう言ったんだ。「トーレスはお前のものだよ」と。
 まだまだ父が壮健だったのに、こうしてこのトーレスは私のものになったのさ。コロラドの吹雪のおかげさ!(笑)

(T):お父様との想い出溢れるのギターコレクションの中でも、特別の1本なのですね。

(P):そう。パパはこのギターをとても愛していた。その人生の最後に弾いたギターもこのトーレスだったよ。最晩年、闘病の中、パパはギターと関わることで痛みを忘れようとしていた。このギターが、パパの最後のギターになってしまったよ。
 だから私は、それから16年たった今も、弦を交換していないんだ。あの時、パパが弾いたままの弦なんだよ。だけど明日、弦交換しよう。このギターを来年、東京で使うのだからね。
 外した弦はまとめておいて、常にギターケースに入れて演奏に行くよ。そうしたらいつでも、どんなコンサートでも、私はパパの精神と共にいられるからね。

写真下段~右:外した弦をまとめ、「父が弾いた最後の弦をここに外す。父の想い出と共に。日付」とパッケージに記して、大切にポケットにしまった。


(T):レコーディングやコンサートで使用しましたか?

(P):1981年に「カルリとディアベリのソナタ」をレコーディングしたよ。素晴らしいセッションだった。
 コンサートツアーでも使ったんだよ。 私はこのトーレスで2つのツアーをこなした。

 その中にマドリッドでのコンサートがあり、スペイン国立管弦楽団と「アランフェス協奏曲」を演奏した。
 この日はロドリーゴも聴きに来ていて、彼はこのギターの音にとても感銘したんだよ。盲目のロドリーゴは、音を聴いただけではどんなギターか?は分からないから、正に音が気に入ったんだね。
 コンサートの後、ロドリーゴは私に「私が聴いた中で最も美しいギターだ!どうしてこのギターをもっと沢山使わないのか?」と言ったよ。
 今日、トーレスについて考える時、一般に「過去の楽器」と認識されているよね。「古楽やサロン音楽向け」とも。
 けれどそれは違うよ。優れたトーレスは、モダンなギターと同じく、あらゆる状況でその実力を発揮する、今も生き続けている現役のギターなんだ。


(T):このトーレスでオール・ターレガ・プログラムのコンサートを開催することになりましたね。

(P):ようやくお前と私の夢が叶うね!
 トーレスのギターはそれ以前の古いタイプのギターと劇的に違ったので、アルカスやターレガとその弟子達を始めとする多くのギター愛好家達の演奏を大きく変えた。
 トーレスのギターが非常に多彩な音色をもたらしたことで、ターレガやアルカス、リョベート達により、様々なタッチが奏法が工夫され、それを活用した作品群が作曲され、正に新しい地平を切り開いたことは間違いない。だからこの企画は、「あるべき」重要な企画だったのさ。

(T):大災害から復興してゆく日本で開催できることを嬉しく思っています。

(P):私も同感だよ。あの災害の時は、とても心配した。お前を始め、日本の友人達~そして私の兄弟姉妹である全てのギター愛好家の皆さんを。今でも私の心は、皆さんと共にあるんだよ。

(T):ありがとう、パパ。僭越だけど代表してお礼を申し上げます。そして、そのコンサートを「エンデチャ・イ・オレムス(哀歌と祈り)」で始めることになりました。

(P):その音楽を、傷ついた皆様に、そして復興に取り組む皆様に捧げたいと願っているよ。


 (T):コンサートでの弦と調弦ピッチはどうしましょうか?

(P):私達兄弟が子供の頃はまだ、父はガット弦を張っていたんだ。多くの人達はガット弦について、現代の弦より音量が小さいと思っているけど、実はガット弦はパワフルでブリリアント(輝かしい)音色を持っているんだ。問題は「切れやすい」ということでね。コンサートで切れてしまう危険性が高かった。だから調弦ピッチも415~438Hz位だったんだよ。その頃は438Hzなんて高過ぎる位だったのさ。

 ガット弦のタッチは、今日の「研磨弦」の感触に似ているよ。私は研磨弦が好きでね。それは、研磨弦の質感がタッチの時、指先にわずかに抵抗して、コントロールしやすく感じるからだよ。だからサバレスの赤ラベル(520R)にしようと思う。
 私は、438Hzは大地のバイブレーションと共振する響きを持っていると思っているんだ。なので438Hzにするよ。

(T):初めてこのギターを弾いた時のことを覚えていますか?

(P):もちろん!このギターと恋に落ちた日は忘れないよ。初めて弾いた時、あまりの素晴らしいサウンドにウットリして、たちまちぞっこんになってしまったのさ。
 だからこのトーレスは、知ったギタリスト全てを虜にするような、とても素晴らしいギターなんだよ。

(T) :まったく!私も初めて弾いた日を忘れない!2008年9月30日の午後1時だった!(笑)


このメープル以外のトーレスコレクションについても、インタビューを頂いています。後日、改めてご紹介したいと思っています。

さて、如何だったでしょうか?5月の来日コンサートに向けて、興味が深まったでしょうか?
当日のパンフレットなどでも、同じくご紹介したいと思っていますが、事前に知っていただくことで、一層、深い楽しみ方をもって、ぺぺロメロ・コンサートをお楽しみください。

チケットの購入はお早く、ぺぺタスウエブショップにて!

※ 2001年のインタビューも、合わせてお楽しみください

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